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「毒親」に分類される「要素」が母にはある けど「母が毒親」とは言い切れない理由

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このブログの紹介ページの冒頭は・・・

三つ子の魂百まで・雀百まで踊り忘れず、なんて言われる通り
幼少期の記憶や影響って残りますよね。
・・・良くも悪くも。

私は、特別劣悪な家庭環境で育ったという訳ではないのですが
母親との関係においてトラウマを抱えてまして・・・
実家で一緒に生活をしていたのはかなり前の話なのに
幼少期に染み付いたことから離れられないままで
生き辛さを感じ、長い事悩んできました。

という文章で始まっています。

 

ここ数年で多くの人の耳に入るようになった

「毒親」とか「毒親育ち」とか「親ガチャ」

って言葉ありますよね?

 

私の母親は・・・

「毒親とは?」で検索すると出てくる特徴に

当てはまっている部分は確かにある

同年代の友人と親の話をした時に

「厳しい!」「そんな体罰うちは無かった!」と

ビックリされるようなエピソードもあったりはします。

 

私自身も長い事「生き辛さ」を抱えて苦しんでいたし

それをどうにかしたいと思って試行錯誤してきました。

「毒親育ち」「アダルトチルドレン」「共依存」

「自己肯定感が低い」「自信が無い」「見捨てられ不安」

「自分を責める」「罪悪感を感じやすい」などなど・・・

幼少期の家庭に問題があったとされる人の特徴に

色々と当てはまることも多いです。

 

私は、昭和48年生まれなので

自分が一番「幼少期の影響」で苦しかった頃に

「親ガチャハズレ」という表現は無かったけど

そんな思いで心が一杯になっていたこともありました。

 

 

このブログを書き出したのは

長ーい時間をかけて、日々感じる生き辛さから脱出出来て

母親との付き合い方や、自分の取り扱い方が

大分わかるようになってきてからなんです。

 

で。

 

記事を書くにあたって

初めてブログを訪れた方にも

自分の幼少期の環境が伝わるように説明しよう

と思うと・・・

【毒親に育てられた私】という表現って

まぁ割と便利だったりするんです。

 

でもね。

 

「毒親に育てられた」の一言で済ますのって

なんかちょっと違う、抵抗がある、と感じるんです。

なので、大体は「毒親気味の母親に育てられた」

という表現で、多少マイルドなニュアンスにして

(え?あんまりなってません?w)

記事を書いております。

 

「毒親」に分類される「要素」が母にはある けど「母が毒親」とは言い切れない理由イラスト-1
↑こうじゃなくて・・・

 

↓こっち ・・・伝わります?w
「毒親」に分類される「要素」が母にはある けど「母が毒親」とは言い切れない理由イラスト-2

 

幼少期を思い返すと・・・

確かに辛い思いはしていました。

母と生活を共にしなくなってからも

幼少期の影響で私が生き辛さを感じてきたのも事実。

 

でも、それはそれとして・・・

 

母親自身も子供の頃のトラウマみたいなものを抱えているのに

時代・風潮・状況・環境的に「自分の内面の事に取り組む時間」を

母は持てなかったんだろうな、とかも思うんです。

 

あ。

ちょっと話が逸れてきちゃいました^^;

その辺りの話はこちらの記事をどうぞ。

毒親とは言い切れない 目指せ!消化&昇華
幼少期の影響で大変な事も確かにあったけど、時間をかけて無理なく消化して昇華したい! 今日は文章まみれ。

 

今回書きたかった話に戻りますね。

 

「毒親」にカテゴライズ(分類)される「要素」が

「母にある」のは間違いないけど・・・

「うちの母は毒親」と言い切るのは(今となっては)

どうも違うなと感じだしてきたぞ?その理由は?

という話なんですけれどもね?

 

 

簡潔に、一言で、その理由を説明するなら・・・

 

母に感謝してるところが沢山ある!という事を

自然に受け容れられるようになったから!

 

生き辛さと戦っていた頃は

「母親に感謝せねばならん!」と思っていたし

それがなかなか出来ない自分に対して

苦しさの上乗せをしている状態でした。

親を恨む気持ちはどうすればいいの
親への恨みや辛かった記憶。親への感謝や楽しかった記憶。白黒思考で絶賛うつ治療中の私は、この相反する感情の置き所が分からず困り果てます。悩みまくって辿り着いた結論とは・・・。

 

でも、今は・・・

「まったくもー!あんた(母)のせいでアタシャ大変だったよ!」

ってことは事実としてあったな、と思いつつも・・・

人との関係を構築していく基本の基本、イロハのイ

みたいな部分を、幼少期に母が叩き込んでくれたおかげで

私は、これまで周りの人に恵まれた状態のまま

過ごしてこられたんだな、有難いな、と思っています。

50歳手前にしてようやく気が付く、自分の歩みの遅さにはしびれますが^^;

 

で、さっきもイラストで描いたように

「毒親」に分類される「要素」が母にはある けど「母が毒親」とは言い切れない理由イラスト-1

このブログでいろんな出来事を

文章やイラストで表現しようとしていく中で

どんどん「母は毒親」っていう書き方(というか自分の解釈)

違和感を感じるようになったんですよね。

 

違和感と言うか・・・

良心の呵責?的な。

 

(毒親の要素はあったけど)こんなに一生懸命育ててくれたじゃないか。

そんな母親に対して「毒親」と言い切るのは(本人が読む訳じゃないけど)

あまりに酷い仕打ちじゃないか?恩を仇で返すのか?みたいな(笑)

で、コレ↓w
「毒親」に分類される「要素」が母にはある けど「母が毒親」とは言い切れない理由イラスト-2

 

 

嫌だった事は嫌だった事。

辛かった事は辛かった事。

 

楽しかった事は楽しかった事。

感謝している事は感謝している事。

 

過去は過去。

今は今。

 

それはそれ。

これはこれ。

 

母に「毒親の要素はあった」けど

「母が毒親」っていう訳じゃないぞ、と。

そんな風に思う様になりました。

 

これからは「毒親気味の母」じゃなくて

「毒親要素があった母」って書こうかな?

 

次回は母に教わって感謝している事の一つを書いてみようと思います。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました♪

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