「カレーライスに干しぶどう」へようこそ♪
お時間ありましたら是非→自己紹介とブログのご案内
こちらも是非♪ 全19話です→トラウマ脱出物語
【母の毒親要素はココ!シリーズ第五話です】
両親を自宅に招待した際に
「母の毒親要素はこれなんだよねー」と
しみじみ感じた出来事があり・・・
これまでの話はコチラ↓
①久しぶりに両親を我が家に招待
②「行為がダメ」と「人格がダメ」は違う話
③ずれていく話の着地と論点
④他の意見は認めません!
さて前回、母が家族に対して・・・
◆母の言った事に意見するとモーレツに機嫌が悪くなる
→感情が先行して話の論点がずれたままかみ合わなくなる
◆母の考えが絶対の正解で、たったひとつの最善策!
→そこに賛同しない人(人格)を攻撃し出す
という接し方をするという話で終わりました。
家庭の中では母のこの感じは・・・
毎度おなじみだったりするのですが・・・
自分の言った事に意見されるとモーレツに機嫌が悪くなる
→感情が先行して話の論点がずれたままかみ合わなくなる
自分の考えが絶対の正解で、たったひとつの最善策!
→そこに賛同しない人(人格)を攻撃し出す
コレ↑社会生活で煙たがられるタイプよね?
というのが今回の話。
いきなり結論から入りますと・・・
「外では良い人」って表現は
ちょっと語弊がある気もするけど
ま、とにかく・・・
外では自分の意見を強引に押し通したり
意見されたことで腹を立てたりはしない
ごく普通の人付き合いが出来るんです。←母親に対して上から目線で申し訳ないけど^^;
ごく普通どころか・・・
積極的に人ともかかわるし
重要な役割を任されたりもするし
任されたことはきっちりやり遂げるので
責任ある立場に立つことも少なくは無いし
人様のお役に立つ役割を、自ら進んで受け持つので人望も厚い。
と、うちの夫も不思議に感じていたくらい。
ですが、これって・・・
でもあるんですよね。
このブログでも何度か書いていますが・・・
母もまた、幼少期の影響を大きく受けてきた人。
昭和十年代生まれの母は、世の中の風潮的にも物理的にも
自分の内側の事にじっくり向き合ったりする時間を
持つことが出来ないまま生きてきたんだろうなぁと
想像しています。
母は「自分が人の役に立つこと」で
親や大人に褒められ頼りにされ・・・
そこに自分の存在意義を見出してきたんだろうな
と思うような(母の幼少期の)話はたくさん聞きました。
家庭の外で沢山の人の役に立ち
頼りにされ、お礼を言われたりすることは
母にとって「精神安定」に欠かせないのかも?
一方、家族に対しては境界が薄くなり
「アナタの為を思って一生懸命やってるのに!」
「どうしてそれをちゃんと解ってくれないの?」
となって・・・
キィィィーー!とか
どーん!とか
そういう態度になっちゃうのかな?
まぁもう変わらないだろうしね、仕方ないね。
と思ったりしています。
今は。
昔は?
全然無理。
そんな母に(ほぼマンツーマンで)育てられた
私が、生き辛さから脱出するまでの話は
このブログで沢山書いてきましたが・・・
次回は、私が母との付き合い方について相談しに行った時(大分前)に・・・
と、達観していた父が仕事を辞めて
毎日母(妻)と一緒に過ごすようになってから
当時一人暮らしだった私のアパートに家出してきた話
を書いてみたいと思います。
続きはこちら
コメント