「カレーライスに干しぶどう」へようこそ♪
お時間ありましたら是非→自己紹介とブログのご案内
こちらも是非♪ 全19話です→トラウマ脱出物語
【母の毒親要素はココ!シリーズ第六話です】
両親を自宅に招待した際に
「母の毒親要素はこれなんだよねー」と
しみじみ感じた出来事があり・・・
これまでの話はコチラ↓
①久しぶりに両親を我が家に招待
②「行為がダメ」と「人格がダメ」は違う話
③ずれていく話の着地と論点
④他の意見は認めません!
⑤家庭の外では違う顔
さて、今回は・・・
「退職した父」が「毒親要素がある妻(母)」と
毎日一緒に過ごしているうちに
「自己肯定感」を見失った話(十数年前の事)です。
私が母との付き合い方に悩み
父のところに相談しに行った時には
うつ治療の為に、幼少期の体験を振り返る事に対して
「よくわからない」と言いつつも否定はせず
「母とどう接したらいいのだろうか?」
という私の質問に・・・
と答えていた父。
父は昔から、物事を(良くも悪くも)こねくり回さずに
そのままの姿で置いておくタイプなのです。
以前こちら↓で記事にした通り
父は仕事の都合で自宅にいる時間が極端に少ない生活でした。
ですが、十数年前に仕事を退いた途端、生活は一変。
基本的に、朝から晩まで一日中ずっと母と二人
という環境で過ごすことになりました。
父は昔・・・
なんて思っていたそうなのですが
退職する数年前には、すでに・・・
夢、諦めてました。。。
とは言え・・・
今まで家に居なかった分
妻と二人でそれなりにのんびり過ごす
老後を想像していたとのこと。
ところが現実は・・・
母が「コレが正解」と判断したことからはみ出すと
人柄や性格に対しての文句を言われまくる毎日。
口が達者な母に、かなわないと分かっている父は・・・
だんまりを決め込む。
が・・・
そんな事は母には関係ない。
逆にヒートアップ!
だって母は・・・
何回言ったらわかるのかしら?の人なのだ。
打つべし!
打つべし!
伝わるまで打つべーーーし!
夫として・人としての
存在意義や自己肯定感が行方不明。
これには流石の父も・・・
爆発!
と、いう訳で・・・
※念のため・・・これは十数年前の話です
「こんなはずじゃなかった日々の報告」が止まらない。
「やんなっちゃった出来事」は
沢山あったそうですが・・・
家出の決め手は「電話の取り方」だったそう。
なんでも・・・
母の不在時に母宛てにかかってきた
電話の内容をきちんとメモに残せず
曖昧な事しか母に伝えられなかったことで
延々と文句を言われたとか。
外で色んな役割を担っている母には
多方面からいろんな連絡が入るので
父の伝達が理由で困った事になったそうな。←母の後日談
まぁ・・・
母が文句を言いたくなる気持ちは分からなくはない。
けど・・・
延々と「そんな事も出来ない人」と言われ続けて
父が「やんなっちゃう」のもよくわかる。
そして、父のこの一言・・・
なんか・・・しびれた。
色んな意味で。
私が返した「いや、そんなこと無いと思うよ」って一言は
説得力は無かっただろうけど・・・
実際(母の気持ちは)そうだろうと思う。
根っこには家族への「愛情」があるんだろう。
「夫の為」「子供の為」「良い生活の為」と思って
一生懸命色々考えてくれているんだろうな、と思う。
母は「そういうつもり100%」なんだと思う。
愛情あっての行動に対して応えてくれない家族に対して
「アナタの為なのになんで解ってくれないの?」っていう方向に
母の思考が行ってしまう仕組みも・・・
私はわかる気はする。
わかる気はするんだけどーーーっ!
だからこそーーーっ!
と、思うんですよね。
あとね?
大の大人である父親が・・・
母と二人の生活で、家出する程の居心地の悪さと
ストレスによるダメージを負って家出して来たのを見て
逃げる術も生活力もなかった幼い子供(私)が
大きな影響を受けて苦しんだのは無理もない。。。
と思うと同時に・・・
父に対して
↑って言ってたけどさ?
確かにそのとおりかもしれんけど
とも思いましたよ。
それはそれとして・・・
「何も言わずにひっそりバイクで出てきた」
ってことはよ?
今頃母は「どこかで事故でも起こしたのでは?」と
絶対心配してるじゃないか!^^;
と思って母に電話したら・・・
激ギレされて、電話をぶった切られた。
後々「心配してたからビックリしちゃって」
とか言っていたが・・・
「父と私が共謀して母を騙した」と
濡れ衣を着せられたことは忘れないぜ?
本格派!
と、思いきや・・・
翌日私が仕事に行ってる間に、どこかの山にソロツーリングに行って帰宅してた。
ビックリするわ!(まぁよかったけど)
続きはこちら
コメント