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遅刻癖と登校拒否 ⑤自分の家の常識≠世の中の常識

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こちらも是非♪ 全19話です→トラウマ脱出物語


 

こちら↓の続きです

遅刻癖と登校拒否 ①遅刻は小学校高学年、不登校は中学一年から
反抗期が始まった小学校高学年の頃に「遅刻」が始まり、中学一年生で「不登校(行ったり行かなかったり)」が始まった私。今年50歳になる私の『昔の話』を書いてみようと思います。連載スタート!
遅刻癖と登校拒否 ②周りの人が普通に出来ている事が自分には出来ない
遅刻癖を経て不登校児となった中学生の私。自分でも本当にどうしてこんな事になっているのか分からず、悩んでいるのに差し伸べてくれた手すら振り払う。コレは私の黒歴史。連載第2話!
遅刻癖と登校拒否 ③母親と娘の関係
「反抗期の子供のいう事なんていちいち聞いてられるか!ぺっ!」と思っていたかもしれないけど・・・それにしたって母の「娘を無視する具合」は見事でした。母も娘もストレスだらけの毎日。連載第3話!
遅刻癖と登校拒否 ④母からの影響、母が受けていた影響「もしあの頃・・・」
私が遅刻や不登校で悩んでいた頃に、母が私の話を聞いてくれる状態だったら、人生がもう少し違った(楽だった)だろうな・・・と想像したりします。でも「それは無理だったんだな」と感じている、その理由とは・・・?連載第4話は・・・超長い!

 

親からの影響で染み付いた

◆白黒思考
◆完璧主義
◆強い罪悪感
◆見捨てられ不安
◆他者評価が大事

これらが「私の遅刻や不登校」に

どういう形で関係していたのか?

を、書いてみようと思います。

 

誰でも(小さいうちは特に)

「自分の家の常識=世の中の常識」

という感覚が多かれ少なかれ

ありますよね?

 

外の世界に出て、色んな人と触れ合って

「こういう考えもあるのか」とか

「こういうやり方もあるのか」とか

経験して学んでいくものだと思うんです。

 

が、私の場合は・・・

登校拒否イラスト3-4

登校拒否イラスト3-5

 

という環境で育ってきて・・・

自分が「窮屈」「苦しい」「辛い」

「なんかおかしくない?」と感じていた

にも拘らず、母と同じような考えが根付いている

という状態でした。

 

色んな家庭環境で育った人と

接していく学校生活。

中学生にもなれば、生徒同士で

「みんなで話し合って何かを決める」

という機会も増えてくる中・・・

 

自分はきちんとちゃんとしっかりと

一番いい方法で一生懸命やらないといけない。

それが出来ない自分には価値が無い。

きちんと出来ていれば機嫌よく接してもらえる。

それが絶対正しい考え方。

 

これを・・・

当たり前のように人にも押し付ける子供でした。

登校拒否イラスト5-1

 

いや、当時は「押し付けている」という事にも

気が付いていなかったんですよね。

 

「みんなの為に一生懸命考えた」

「みんなの為に一番いい方法はコレだ」

「なんでそれをちゃんとやらないんだ」

 

親子ほどの力関係が無い学校生活では

この考えを押し付けてみたところで

相手を従わせる事は出来ないもの。

 

嫌われるのが怖いという不安も強かったので

押し付けた自分の考えを大人数がいる場所で

主張しきることも出来ませんでした。

(↑やっていたら友達いなくなってた気もします^^;)

 

「意見を交換すること」

「双方の言い分を聞くこと」

というのは、私にとって「未知の世界」

 

意見が分かれたとしても

「どちらかが善でどちらかが悪」

「どちらかが正解でどちらかが不正解」

とは限らない、というのも「未知の世界」

 

 

やり方や進め方の話をしているだけなのに・・・

登校拒否イラスト5-2

「自分自身」を否定されたと感じ

自分の価値や存在の危機を(勝手に)感じていました

 

 

そして「うまく出来ない事があった時」の

自分の存在の置き所も・・・

登校拒否イラスト3-4

ここ↑しか知らなかった私は

心のバランスが取れなくなっていく・・・

登校拒否イラスト5-3

 

続きはこちら

遅刻癖と登校拒否 ⑥悩みの出口が無かったあの頃【完】
登校拒否をしていた頃に感じていたこと、考えていたこと。反抗期も相まって「悩んで困っている」のは伝わり辛かっただろうなぁとも思ったり。遅刻や不登校を学生の間に克服できなかった私のその後の話も。遅刻癖と登校拒否完結編!

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