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私(ことたいこ)の「母」↓
母には・・・
「毒親に分類される要素」があったのも事実だけど
「母が毒親」と言い切るのはなんか違うと思うようになった。
という記事を前回書きました。
その続き(の様な)話で、今回は
幼少期に母から教えてもらって良かったな、と
思っている話を書いてみます。
厳しい母ではありましたが・・・
感謝している事はいっぱいあるんです。
元気に挨拶をする、とか
何かしてもらったらお礼を言う、とか
人との関係を作っていく入り口というか
基本のキ、いろはのイ、みたいな部分のことは
かなり小さい頃から母親に文字通り叩き込まれました。
幼少期の影響による生き辛さから解放された今となっては
叩き込んでもらった良き習慣について「親に感謝だな」と
素直に自然に思える様になりましたが・・・
母の叩き込み具合がなかなかにパワフル(?)だったので
不要な「見捨てられ不安」も一緒に身に付いてしまい
「親に感謝?それどころじゃないわい!」という時期もありました。
その辺りの事はこちら↓の記事でも書いたのですが・・・
今回は 珍しく ゴリゴリ叩き込まれずに
良き習慣、というか考え方を教えてもらったなー
と思っている「辛い思い出がセットになってない話」です^^♪
子供の頃の話なので詳細は覚えていませんが・・・
我が家にはたまに(年に一回くらい)
キレイな缶に入って、キレイな紙に包まれた
夢のような山盛りのチョコレート
を、誰かから頂くことがありました。
(お歳暮とかだったんだと思います)
で。
我が家には、これが届くと必ず行うコトがありました。
それは・・・
お父さん・お母さん・たいこ(私)と
母が油性マジックで書いたビニール袋に・・・
「ある物はみんなで仲良く分ける」
という事を私が自然に身につけられたのは
我が家で毎回行われていた
母による「豪華チョコレート分配の儀式」
のおかげだと思ってます。
ま、これ私が一人っ子だったから成り立った話だったのかもしれないですね。
あ、ちなみに・・・
「自分の分」だからと言って、自由に食べるのはNGでした。
お小遣いでの買い食いも禁止↓
まぁ色々とあったけど・・・
少しずつ穏やかな気持ちで過ごせることが増えてきて
自然に親にも感謝の気持ちが持てるようになって
思い出した話をちょっと書いてみました♪
最後まで読んで頂きありがとうございました♪
父は虫歯キング→40歳で総入れ歯( ;∀;)
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