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絶賛連載中です→トラウマ脱出物語
生き辛さを手放すためには、原因を追究したり
自分の思考や言動の制限=しちゃいけないことをしないようにする
のではなく「どうなりたいか?」を考えた方がいいのでは?
と思う様になった、というところまでが前回の話。
前回の話はコチラから読めます↓
とは言え・・・
身に付いた習慣や癖というのは
そう簡単に変えられないんですよね^^;
「こうしたい」「こうなりたい」を
考える様にしようと思っていたはずなのに
「しちゃいけない事を考えちゃいけない!」
という、無限ループにいつのまにか
はまっている事もしばしば。
↑こうなっちゃうと
自然にこうなる↓
この流れをどうにか止めたいと思った私の頭に
突然ある例え話が浮かびました。
という例え話なのですが・・・
と、思いました。
いや、もちろん「こうならないように」って事を
頭に思い描いておくのも大事なことだとは思うんです。
でもそれ以上に「こうなりたい」って事を
ハッキリと思い描いていないと
なりたくない方に引っ張られちゃう気がしませんか?
私の場合は、楽しむ事への罪悪感も持っていたので
余計に「楽しい気分になれる方向」に向くのが苦手で
「こうなっちゃいけない」「こうしてはいけない」
という方向を見ながら進むことが多い。
楽しくないのはしんどいし、良い変化も感じにくい。
それで迷子になりやすいんだろうなーと思ったんですよね。
幼少期のトラウマで、楽しむ事=悪い事
という罪悪感を持ってしまう事ってあると思うし
手放すのもなかなか難しかったりはしますが
急に頭に浮かんだこの例え話は(突っ込みどころもありますけど^^;)
自分で自分の状態を「あぁ、こういう事なんだな」と
客観的に見られるようになったきっかけになりました。
今でも気が付くと「こうしちゃいけない」の方向に
向いている事はあるのですが・・・
前よりもすぐにその事に気が付けるようになって
「あぁ出た出た、Bさん来てるよ?」と思って
「こうしたい」「こうありたい」「こうなりたい」
の方向に頭を切り替えられるようになりました。
こんな事を繰り返しながら
私は少しずつトラウマからの脱却をしてきました。
母との付き合い方を見つけるまでもう少し!(の予定です)
大分長いシリーズとなっていますが
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました♪
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