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遅刻癖と登校拒否 ⑥悩みの出口が無かったあの頃【完】

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こちらも是非♪ 全19話です→トラウマ脱出物語


 

今までの話はコチラ↓

①遅刻は小学校高学年、不登校は中学一年から
②周りの人が普通に出来ている事が自分には出来ない
③母親と娘の関係
④母からの影響、母が受けていた影響「もしあの頃・・・」
⑤自分の家の常識≠世の中の常識

 

親からの影響で染み付いた

◆白黒思考
◆完璧主義
◆強い罪悪感
◆見捨てられ不安
◆他者評価が大事

これらが「私の遅刻や不登校」に

どういう形で関係していたのか?

登校拒否イラスト5-3

 

「ちゃんとしていなければならない」

「そう出来ない自分には価値が無い」

 

幼少期の影響で強くそう思いつつ

そういう考えが窮屈で反発したい

という気持ちもあった中学生の頃。

 

「常にまとわりつく不安」について

母に話してみた事もありましたが

登校拒否イラスト6-1

一刀両断。

 

 

また幼少期からずっと

「あんたはノロマで愚図なんだから」

「決まったタイムテーブル通りに動かねばならない」

と厳しく言われ続けた、母のルール。

パブロフの桃太郎
ノロノロしがちな幼稚園児だった私に、時間通りに動くことを躾けてくれる母。分刻みの予定表はその役割を果たすのか?そして母が編み出した秘策と思いがけない落とし穴とは?

 

この時はもうそこまでの管理はされていなかったのに

出だしで躓くと「もうダメだ!」と思ってしまい

自分の行動や気持ちを立て直せない、という・・・

「最初から全部ちゃんと出来ないといけない」

完璧主義を拗らせた状態でした。

 

学校を休みだしたきっかけの出来事は

クラスメイトとの言い争いだった、と

第一話で書きましたが・・・

 

「自分の意見を否定される」という事が

「自分の存在を否定される」としか

解釈が出来なくなっていたんですよね^^;

 

日頃の家庭でのストレスもあって

プツンと糸が切れたように

動けなくなってしまった

という感じでした。

 

学校が嫌だった訳ではないけれど

「母親と顔を合わせたくない」

「自分の存在は人にとって邪魔なもの」

という感じで部屋の外に出たくない

人に会いたくない、という気持ちでした。

 

きちんとしなければならない

ちゃんとやらなければいけない

皆はちゃんと出来ているのに

自分はそれが出来ない

自分は弱いダメな人間だ

どうして自分はこうなんだろう?

という葛藤にまみれる毎日。

 

「学校に行かない原因は?」

と聞かれても「コレが原因」

というのが自分でも分からない。

登校拒否イラスト6-5

 

「なんとかしなきゃ!」

「どうしてだろう?」

「どうしたらいいんだろう?」

と考えても、その答えはいつも

登校拒否イラスト6-2

とにかくここにしか着地出来ない状態。

 

病んでたー。

 

とにかく異常に打たれ弱かったし

なんなら学校に行けない事だけでなく

世の中の悪い事は全部自分のせいなんじゃないか

と思う様な状態でした。

 

さすがに自分でも「おかしい」と思ったし

どうにかしなきゃと思うものの・・・

登校拒否イラスト6-6

悩みの出口が無い。

 

 

どうしたらいいのかも分からなくて

ひとりで病院にも行ってみたんですが・・・

 

登校拒否イラスト6-3

追い返されました。

 

当時は「うつなんて心が弱い人の言い訳」

という考えが多かった時代

ましてや子供が一人で

「頭がおかしいかもしれなくて」

と言ったところで相手にはされませんでした。

 

この頃は・・・

「毒親」なんて言う言葉もなかったし

家庭や学校での体罰も日常茶飯事だった時代。

 

「親が厳しくて・・・」

という話をしても

「どこの親もそうだよ」と

片付けられるのが当たり前でしたし

「やっぱり自分がダメなんだ」

「そんな自分が嫌い」

という考えが強化されるばかり。

 

逆に人に褒められたり感謝されたりすると

安心すると共に、気が大きくなって

「私はすごい、私は大丈夫」と

他者評価に強く左右され

一気に有頂天になってしまう。

でもちょっと上手くいかない事があると

一気に落ち込む。

「あっちの端」か「こっちの端」

にしか居られない白黒思考でもありました。

 

 

幼少期から染み付いた

◆白黒思考
◆完璧主義
◆強い罪悪感
◆見捨てられ不安
◆他者評価が大事

自分でもよく分かっていなかったし

反抗期も相まってなかなか

理解してはもらえませんでしたが・・・

「あの頃こんな事を感じて考えていた」

というのを思い出して書いてみました。

 

 

さて、最後に「その後の私がどうなったか?」ですが・・・

 

残念ながら私の「遅刻癖」や「登校(出社)拒否」は

頻度や程度は減ったものの、その後もしばらく続きました。

 

 

【親のせいにして開き直る期←17歳

私は悪くない

 

 

【親のせいにするのはダサい、自分が悪い期】

人生自分次第!

 

 

【自己嫌悪の沼にはまる期】

自己嫌悪沼

 

 

【うつ病発症←30歳

診断結果

 

 

【自分をほじくり返す期】

手放したいモノたち

 

 

【母との付き合いを模索する期】

心が削られない

 

 

【トラウマ脱出←48歳10カ月

幻のトラウマ脱出ボタン

 

という、なんとも長い時間をかけて

自分の生き辛さを何とかしようとする中で

遅刻癖や登校(出社)拒否も一緒に直った

という感じでした。

 

【完】

※上記のイラストが出てくる「自分に幼少期の影響によるトラウマがあると自覚し出してからそれを克服するまでの話」は、この↓シリーズ記事(全19話)で書いていますのでもしよろしければ是非。

自己嫌悪の始まり
幼少期のトラウマを自覚し出してからの数年間は、うまくいかない事があると完全に親のせいにして変わろうとしなかった私。そんな私が「このままじゃダメだ!変わらなくちゃ!」と思ったキッカケは・・・。

 

最後までお付き合い下さりありがとうございました。


 

ちなみに・・・30歳の時に行ったメンタルクリニックで

登校拒否イラスト6-4

と言われ「( ;∀;)エェェーーーーー」と。

登校拒否イラスト6-3

(; ・`д・´)

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